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東京スカイツリー展望台に燈りが ☆首都高速中央環状線から
-首都高速中央環状線は、東京都の、品川区の大井JCTから渋谷区・中野区・新宿区・豊島区・板橋区・北区・足立区・葛飾区を経由して江戸川区の葛西JCTに至る、首都高速道路の路線である。
起点側から、中央環状品川線(大井JCT - 大橋JCT)・中央環状新宿線(大橋JCT - 熊野町JCT)・中央環状王子線(板橋JCT - 江北JCT)・東側区間(江北JCT - 葛西JCT)の4つの区間から構成されている。
首都高速都心環状線の外側に位置する環状線である。副都心とのアクセス、および各放射線の中央付近を接続する役割を担う。また、都心から約8km圏内の、渋谷・新宿・池袋などの副都心エリアを環状に連絡するとともに、放射道路を相互に連絡する、首都圏の3環状9放射の一番内側の環状道路(東京外環自動車道・首都圏中央連絡自動車道とともに3環状の一つ)と位置づけられている。
葛西JCT - 江北JCT(東側区間)
東側区間は、中央環状線の中でも最も早く開通した区間である。大半の区間が荒川の堤防上に建設されており、用地買収の必要がなかった事は早期開通にとって有利であったが、水防を最優先として他目的の利用を極力抑える河川行政との調整は容易でなかったとされる。
堤防上に建設された背の高い高架道路であるため、視界を遮るほどの遮音壁はほとんど設置されていない。道路西側は荒川、東側は高層建築物が少ない市街地が広がっている。密集市街地にネットワークを形成している首都高速では例外的な、きわめて開放的な眺望を得られる区間ではあるが、同時に冬を中心に強い横風にさらされることも少なくないため、走行には注意が必要である。
-首都高中央環状線については・・
http://www.c2info.jp/
東京スカイツリーについては・・
http://www.skytree-obayashi.com/
http://www.tokyo-skytree.jp/
東京スカイツリー関係のトラックバック先は・・
http://4travel.jp/traveler/maki322/album/10463292/
2010/09/03 10:09:55
<1998年5月23(土)晴>
<ロンドン市内散策>
2日間は5人組で行動しましたので、今日からは各自のプランで行動することにしました。タクシーを使う時は、5人組は割安で助かりました。ロンドン市内を1人で移動する場合は、地下鉄が便利です。それでも初乗り料金が1ポンド30ペンス、日本円で300円弱なので、何度も乗り継いでいる内に、結構な費用となりました。
8時過ぎにホテルを出ました。天気が変わりやすいので、傘だけは常に携帯しておくこととしました。博物館や美術館などの開館までは相当時間がありましたので、ホテル近くのラッセルスクエアとハイドパークを散歩しました。
ラッセルスクエアには池はないのに、オシドリの番いが芝生の上をよちよちと歩いていました。人が近づいても驚いた様子はありませんでした。むしろ向こうの方から近づいてくる感じでした。本当は餌を貰いたかったのでしょう。
この公園ではプラタナスやニセアカシヤの大木の他、桜、小手鞠、紫葉樹(私の勝手命名、Copper Beech Treeのこと)、珊瑚樹、モチノキ、木瓜などが植えられていました。花壇もあり、パンジー薔薇、ストック、ジュリアンなどが作られていました。
今日の一番の目的は、大英博物館です。ラッセルスクエアを散歩しても、まだ開館までは1時間以上ありましたので、ハイドパークまで足を伸ばしました。ここまでは地下鉄で移動しました。今日のもう一つの目的地であるビクトリア&アルバート博物館、自然史博物館等を先に確認しておく意味もありました。これらは、ハイドパークの中程の南側にほぼ隣接していました。
ハイドパークの東北角の駅で下車し、公園を斜めに過りながら散歩しました。この公園の起源は、王室のお狩り場だったらしく、兎に角広大な公園でした。
公園の中には大きな池があります。地図で見ますと、どうやら、テームズ川の流れが変わって、取り残されて出来たかのように想像されました。暫くの間、この池のほとりのベンチに座って、のんびりと水鳥を眺めていました。時間の感覚が変わって、まるで別世界に迷い込んだような感じがしました。
<大英博物館見学>
ハイドパークで、思いの外長く時間を過ごしましたので、大英博物館に着いたのは11時頃でした。この博物館では昼食の時間を含めて、5時間ほどを費やしました。全体のイメージを掴むため、最初は早回りにしました。率直な感想としては、尋常な手段ではこれほどのコレクションは不可能だろうということでした。もっとストレートに表現すれば、海賊国、帝国にしてはじめて可能な収蔵品の数々です。この思いは、その後ビクトリア&アルバート博物館を見学して、更に強くなりました。
収蔵品は全世界の地域にわたっていますが、殊にインド、東南アジア、エジプト、ペルー等に関する文物が豊富でした。持ち去られた国の人は複雑な思い出で見学していることでしょう。
日本の文物は数多くはありませんが、法隆寺の百済観音像と対と思われる木像が手で触れるような場所似展示してあったのには、驚かされました。つい最近、法隆寺の百済観音像を名古屋市博物館の特別展で見たばかりでしたから、ことさら感慨深いものがありました。それでも、光背や台座、指先など、保存状態は悪くなさそうなのが救いでした。
しかし、もう少し光量を下げて展示しませんと、これからの痛み、変色の進みが心配になりました。本当は、このような仏像は、日本へ返還されて大切に扱われた方がいいのかも知れません。ところで、由来を遡れば、韓国が所有権を主張することも考えられる逸品です。
日本の文物では、もう一つ、金色の葵のご紋が付いた1メートル余りの対の壺にも目を奪われました。説明書きは、単に「ボトル」になっていました。私の直感では、その昔、大名行列も路を譲ったという、「お茶壺」様に違いないと思いました。この場所に展示してある由来は分かりませんが、第二次大戦後ではないかと推測しました。葛飾北斎の「波裏」もさりげなく展示してありました。荒波の向こうに富士山が描かれた有名な版画です。
やはりこの博物館でも、短歌を創るという気分には、なれませんでした。
<ビクトリア&アルバート博物館見学>
4時過ぎにハイドパークの方へ移動し、ビクトリア&アルバート博物館を1時間ほど見学しました。大英博物館に劣らず、こちらの収蔵品も物凄いものでした。寺院や遺跡等の主要な彫刻、文物をごっそりと運んできた感じです。運べない像は、首だけ切り取ってきたようでもあります。運搬も、軍艦が似合いそうなスケールでした。全くのところ、唖然としました。
すぐ近くの自然史博物館は、閉館間際で、見学時間が全くありませんでした。入り口から見える大恐竜の骨格化石だけを、ただで覗き見させてもらいました。
<Koさんと夕食>
夜はKoさんと合流して食事に外出しました。ホテルから少し東に歩いたところに、一寸した飲食店街がありました。その中でも、ビールだけのパブを避けて、イタリアンレストランを選びました。
メニューのややこしいところは分かりませんので、スパゲティ、ピザと赤のハウスワインのフルボトルを頼みました。約30ポンドでしたので、1人当たり3千円強程度になりました。食べ物もワインもなかなか美味しい店でした。
ラッセルスクエアにて
鴛鴦の番は我に近付て少し見上て悠々去りぬ
ハイドパークにて
鳩の来て水飲み終えて目の前を歩いて去ぬ公園の池
水鳥の岸に並びて毛繕うカタカタカタと音を立てつつ
毛繕い終えたる鴨は一列に並て沖に泳ぎ出したり
2010/08/29 03:08:04
<2004年6月24(木)>
今朝も5時の目覚まし、携帯の音で目が醒めました。時差ぼけの心配はないようです。いつもなら、この後、起き出すまでには少し時間をかけますが、今朝は6時前の地下鉄に乗るため、すぐに起きました。イギリス小旅行の用意は、昨日のうちに済ませておきました。
<早朝の出発、シティ・ラマでのトラブル>
自由旅行の中で、唯一事前に申し込んでいたのが「ロンドン1日旅行」でした。ユーロスターでイギリスに渡ってみたいと言う計画です。今日がその出発日でした。ところが、この計画は実現しませんでした。その顛末を記しておきます。
集合場所はルーブル美術館近くのシティ・ラマ社前、6時45分でした。この日は食事をせずに、6時前の地下鉄で出かけました。まだ人影がまばらな時間でした。順調に乗換えが出来、シティ・ラマ社へは30分前に着きました。旅行会社はまだ開いていませんでした。それで、セーヌ川沿いの公園などを散歩して時間を調整しました。
頃合を見計らってシティ・ラマ社へ戻ってみますと、既に何人かの人が受付を済ませていました。パリ市内観光や、パリ郊外観光など、色んなコースごとにバスが用意されていました。ところが、その受付で貰ったパンフレットには「パスポートが必要です」と記載してありました。
シティ・ラマ社のパンフレットが前日までに貰えていたら、当然ながらパスポートを持参しました。しかし、現地集合してから貰ったパンフレットに「パスポートが必要です」と書いてあっても遅過ぎます。シティ・ラマ社へ集合した時に
「パスポートが必要ですから、ホテルへ戻って持ってきて下さい。ホテルからは北駅に直接行ってください」
と聞けば、まだ間に合った時間です。しかし、シティ・ラマ社への丸投げ旅行なので、HI*の関係者は、全く顔を出していませんでした。
実は昨日の夜、HI*のパンフレット類を仔細に確認して、
「明日のイギリス日帰り旅行は、パスポートは要らない」
と判断していました。前日までは、パスポートを上着の内ポケットに入れて行動していましたが、出来る限り余分な物は持ち歩かないように考えたためです。
北駅往きのロンドン行きのバスには、男性の英語ガイドさんが付いていました。北駅に着くと直ぐに、
「パスポートをホテルのセーフティボックスに置いてきたので、今ここには持っていません。それでもツアーに参加できますか?」
と訪ねましたら、
「それはあなたのミステイクだ。参加は出来ない」
と、即座に回答が返ってきました。その後で、
「タクシーでホテルへ戻って、パスポートを取ってきたら?」
と、アドバイスしてくれましたが、もう時間がありません。私の方から
「ツアー参加は止めます」
と話して、ツアーを諦めました。このコースの日本人客は、私1人でした。
<ホテルへ戻って朝食>
北駅でロンドン行きを諦めた時間は、まだ8時少し過ぎでした。それで、朝食の場所を探そうと付近を捜してみました。しかし、よく考えれば、ホテルへ戻れば、まだ十分に朝食が摂れる時間です。
それで、思い直してホテルへ戻ることにしました。4号線で1駅先の2号線に乗換、そこから4駅先で13号線のプラス・ド・クリシー駅経由で戻るコースを選びました。
一旦は部屋に戻りました。朝食券を置いてきたからです。赤い小さな通し券で、滞在期間が手書きで記してありました。これをフロントで見せますと、部屋番号を記したリストに印をつけて、お盆を渡してくれます。
昨日はチップも出せませんでしたから、今日は枕もとに2ユーロを置いて、出かけてきました。勿論、部屋掃除が済んでいないので、そのままになっていました。翌日からは1ユーロにしました。
ホテルの食堂は混んでいました。昨日は早い時間に朝食を摂りましたが、今日は朝食のラッシュアワーに遭遇したようです。賄いの方が間に合わず、コップや皿だけでなく、料理の方も底をついているものが、いくつかありました。食事をしながら、今日の行動予定を考えました。
イギリス日帰り旅行は、早朝集合、帰着は夜の0時近くと、かなり厳しいスケジュールになっていました。それで、負け惜しみで書くのではないですが、結果的には寧ろ充実したフランス旅行を楽しむことが出来ました。空いた1日を利用して、今日は1日早めてベルサイユ宮殿見学と決定しました。フリー旅行ですから、ここらの変更が自由にききます。
<ベルサイユ宮殿へ>
ベルサイユ宮殿見学は、高速市外電車のエル・ウー・エル(RER)を利用することにしました。ホテルの最寄駅、ポルト・デ・クリシーがRERのC線との交差駅だったからです。
「RERの場合、行き先までの切符を持っていないと、検札で見付かった時は、5千円の罰則金が徴収される」とガイドブックで読んでいましたので、窓口で「ベルサイユ」と書いたカードを見せて切符を購入しました。
RERはエッフェル塔経由です。ブローニューの森を過ぎて、東にセーヌ川を渡るとエッフェル塔駅になります。ところが、ここでは電車は北向きになり、目的地とは反対方向となります。スイッチバックで南向きに変わるのか、それとも、そのままセーヌ川に沿って東にオルセー美術館方向に向かうのか、1/2の確率なので、そのまま乗車していました。
残念ながら、この賭けは外れて電車はセーヌ川を左手にして進みましたので、次の駅で降りました。南に向かうのであれば、セーヌ川は右手になるはずです。15分程して次の電車に乗り、エッフェル塔駅へ引き返しました。この駅で、「ベルサイユ行」の案内表示を探すことにしました。
運行案内のテレビ画面にベルサイユの文字が見付かり、2本の電車をやり過ごして、ベルサイユ行きの電車に乗ることが出来ました。やはり、エッフェル塔駅で反対側のホームへ渡る必要がありました。
試行錯誤があって、やっと、目的の電車の乗れた時は、正直ほっとしました。乗った電車は、確実に南往きの線路に沿って進みました。暫くは路線図の駅とホームの駅名を確認していました。
5割くらいの乗車率でしたので、車外がよく見える席に座りました。その後、通路を挟んだ4人掛けの席が明きました。その席には、フランス語以外の言葉を話す女学生さん3人が乗車してきて、腰掛けました。
学生さんたちは早速、それぞれ手にしたカメラで記念写真を撮り始めました。多分、スペインからやって来たのでしょう。そのうちの1人が、私にカメラを渡して3人の記念写真を撮って欲しいと、身振りで頼んできました。
窓際に3人顔を寄せてポーズをとりましたので、借りたカメラでシャッターを押しましたが、2回ともフラッシュが焚けませんでした。
それで、別のカメラを借りて、もう一度ポーズをとってもらいました。今度はフラッシュが光りました。早速、モニターで確認した3人は、「メルシー」ではなく、スペイン語(多分)でお礼を言ってくれました。その学生さんたちもベルサイユ宮殿見学が目的でした。
<素晴らしかったベルサイユ宮殿>
ベルサイユ駅は終点なので、ホームに人が溢れました。しかし、まだ早い時間なので、本当の混み方ではありません。乗り越しの人は精算用の列を作っていました。RERのペナルティは取られていないようでした。私は、出発駅で正規の区間を購入していましたので、自動改札機を通って駅を出ました。
駅前の道を渡ったところに案内看板がありました。右左折を繰り返して、名所旧跡を見学しながら宮殿に向かうコースと、左折一回だけの最短コースが表示されていました。大多数の人が最短コースを選んでいましたので、私もこのコースを選びました。2、300m進んだところを左折すると、後は宮殿まで一直線の並木道が続いていました。
宮殿が間近になりますと、並木は無くなり広い石畳の道に替わりました。広場の延長と言った感じでした。その石畳の先には、豪華な飾りがついた門と鉄柵がありました。この門を潜れば、いよいよベルサイユ宮殿です。この門は自由に出入が出来ました。
石畳の広い広場は緩いのぼり勾配になっていて、その両側には2、3階建ての長い建物が平行していました。広場の中心には太陽王、ルイ14世の騎馬像が聳えていました。駐車場には何台かのバスが駐車していましたが、ガラガラの状況でした。これから、その駐車場に続々と車が集まってくるのでしょう。
何処が入口になっているのか、咄嗟には分かりませんでしたが、入場券を売っているような短い列がありましたので、その最後尾に並びました。列の進みは遅かったですが、長い列ではなかったので、程なく入場券が購入できました。次は入口探しです。
入口は、チケット売り場より東側の奥にありました。団体用と個人客用に分かれているようでした。入場の際は手荷物検査がありましたので、少し時間がかかりました。最初に見学したのは「王室礼拝堂」です。この礼拝堂を見ただけで、この宮殿が並みの造りではないことが、直ぐに想像されました。
続いて見学したのが、正殿と呼ばれる6つの広間です。「豊饒の間」に始まるそれらのホールには、ギリシャ神話に基づく天井絵がそれぞれ描かれていました。
この天井画はすべてカメラに収めました。フラッシュを使用しなければ撮影は自由でした。正殿を過ぎて左に曲がりますと、白い豪華なシャンデリアが連なる「鏡の間」がありました。室内装飾はルイ14世の偉業をテーマにしたものでした。ベルサイユ宮殿の圧巻の1つです。第1次大戦の終結の条約は、この間で調印されました。
一通り室内見学を終えた後で庭園見学の方に移りました。ここは別料金でしたが、最初に購入した20ユーロほどのチケットには、この料金も含んでいました。この庭園は広大です。ガイドブックからその要点だけを紹介しておきます。
17世紀、ルイ14世は先祖代代狩猟場であったこの地に、「史上、最も大きく、最も豪華な宮殿を建てよ」と命令しました。この工事は1668年に着工され、「毎日2万人の人と、6千頭の馬が動員」されたといいます。セーヌ川から人工の運河に水を引く大土木工事もあリ、完成までに半世紀を要しました。
新緑の庭園をゆっくり見学した後、また本殿に戻りました。空には厚い雲が出て、時折小雨がぱらついてきました。黒い雲をバックに沢山のツバメが飛び交っていました。
昼食は、駅近くのカフェーでヘルシーなサンドイッチとハイネッケンビールで済ませました。缶ビールはもう1本追加しました。ビールは、「ハイネッケン」で通じました。
<エッフェル塔>
往きの乗換駅だったので、帰りはこの駅までエル・ウー・エルの乗車券を買いました。改札口で「エッフェル・タワー」と言いましたら、駅員さんは「エッフェル」の分だけ発音して、直ぐに切符を出してくれました。ベルサイユからエッフェル塔駅までは1時間とかかりませんでした。
遠くからは何度もこの塔を眺めましたが、近くでは今回がはじめてです。遠くから眺めたのは、その場所の大よその方角を知るためでもありました。パリ万博での建設以来、今でもパリ市内では一番のっぽな建造物であるらしく、遠くからでもよく確認できました。
パリの名所だけあって、人出が多く、物売りも多く見かけました。土産物では、金属製の小型のエッフェル塔の束を手にしている人がほとんどでした。少し離れた場所では、道路に土産物を並べている人もいましたが、これはどうやらご法度のようでした。仲間が、警察官が来たような指差し合図をしたら、直ぐに片付けてしまいました。
エッフェル塔付近の広場は、イベントがよく開催されているようでした。ホテルのテレビでも、ここで風船を飛ばす光景を見ました。タワーの橋脚の横には警察官詰所もあり、かなりの数の警官が警備に当っていました。自動小銃を手にした迷彩服の軍隊の姿も見かけましたので、治安維持には相当の配慮がされているようでした。
エッフェル塔は、フランス革命から100年後の1889年に完成した321mのタワーです。パリの名所の1つとして人気が高く、展望台へ登るエレベーターにはどこも行列が出来ていました。晴れた日には70km先まで展望できると言われますが、時間の都合で登るのは諦めました。
橋を渡ったセーヌ川の対岸に、シャイヨ宮が見えましたが、こちらも見学は省略しました。エッフェル塔は、下から眺めた構造物の幾何学模様が美しく、この写真を撮るだけで満足しました。
<オルセー美術館>
エッフェル塔からオルセー駅までは、まだかなり距離がありますので、この間もRERを利用しました。こ時は「オルセー」とだけ駅員さんに告げましたら、黙って切符を出してくれました。RERがこのオルセー駅まで通じているのは、その昔パリ万博の時の「オルセー駅」の名残のように思えました。オルセー美術館の前身は、そのオルセー駅です。
ルーブル美術館と並んで期待していたのが、このオルセー美術館でした。手元にある古い画集、「世界美術全集・印象派の画家たち」(1979年刊)に「印象派美術館蔵」と記してあるのが、オルセーの前身のようです。主要な作品が一致していたので分かりました。
オルセー美術館でも、フラッシュ無しでの撮影が許可されていました。どの作品を見ても名作揃いで、撮影するにはきりが無いほどでした。それで、特にお気に入りの画家の作品を中心にカメラに収めました。好きな画家といっても、ゴッホ、ルノワール、セザンヌ、マネ、モネ、ドガ、、、と沢山いますので、結局は軒並みカメラが向いてしまいました。
写真資料に日本語の説明を付けたのは、この古い画集で確認できた作品です。画集に載っていなかった作品は、写真に撮ったプレートから、そのままフランス語表記を転記しました。スペル間違いも多くあるかも知れません。
印象派の巨匠達が日本の浮世絵に多くの影響を受け、絵画や版画を収集したことは、日本でも紹介されてきました。自分の作品のモチーフに使ったり、輪郭線の技法を取り入れた人がいることも、良く知られています。葛飾北斎の構図の大胆さも、影響を与えたことの1つです。今でも日本では、印象派の画家達の作品展が繰り返し開かれていることは、これらの事が切り離せない伏線になっているように思えます。
オルセー美術館の入場料は7.5ユーロでした。ベルサイユで買った1日券が使えないか交渉してみましたが、「この券はベルサイユだけか通用しません」と言われ、改めて入場券を購入しました。
最初にカルト・ミュゼの1日券を購入しておけば、ベルサイユもこの美術館も見学できたはずです。ただし、ベルサイユの1日券は庭園も見学できたましが、カルト・ミュゼでは新たに庭園入場券が必要だったかも知れません。
<ノートルダム寺院>
ノートルダム寺院は、1163年に着工され、170年の歳月を費やして造られた、フランス・カトリックの総本山です。ノートルダムとは、聖母マリアを意味すると言います。
ビクトル・ユゴーの作品「ノートルダム・ド・パリ」で、カジモドが撞いていた鐘は、南側の塔だと言います。映画の筋は忘れてしましましたが、日本では「ノートルダムのせむし男」の題名で上演された映画でしょう。
入場する前に、寺院全体と各部の写真を出来るだけ丁寧に撮影しておきました。紙数の都合でその一部だけを収録しました。王家の寺院として建築されたゴチック建築だけに、外観でも十分な見応えがありました。
一通り撮影をした後で、短い列のあとに続いて入場しました。入場料は徴収されませんでした。内部で見事だったのは、ステンドグラスの数々でした。方位を考えてガラスの色も変えてあるようでした。例えば、青色のガラスを多用した「北のバラ窓」などの愛称がついていました。沢山のステンドグラスを撮影しましたが、その内から18枚を、この小冊子に収録しました。
<手乗り雀>
寺院の帰りに面白い光景を目にしました。手乗り雀です。掌にパン屑などを載せて指し伸ばしますと、一斉に雀が飛び乗ってきて、餌をついばみました。ついでに鳩も飛び乗ってきましたが、こちらは嫌われ者のようで、その都度追い払われていました。
その雀たちの待機場所は、平に刈り込まれた植え込みの上でした。この場所なら、不意に人や猫に襲われることがなく、安全な場所のように思えました。人や鳥が一方的にその場所を選んだわけではなく、阿吽の呼吸で決まった場所かも知れません。ただ単に偶然かも知れませんし、熱心に餌付けをした人が選んだ場所なのかも知れません。
ベルサイユ宮殿で
太陽の王は今もて主なり広場見下ろす蒼き騎馬像
2010/08/29 11:08:31
ニューカレドニアに食傷気味かもしれないので…
大好きな寅さんのふるさと、
葛飾柴又いきます!
2004年のお正月、実家に帰省した折に
京急~都営浅草線~京成線と乗り継いでいった
プチプチ旅行、というより、散策ですかね。
2010/08/23 11:08:05
第29回「新京成沿線健康ハイキング」に参加しました。(開催概要等は次のとおり)
新京成電鉄では、成田スカイアクセス(京成電鉄成田空港線)の開業を記念して、第29回「新京成沿線健康ハイキング~鎌ヶ谷大仏から梨の里、競馬学校を訪ねて…新型スカイライナーが見えるみち~」を、平成22年7月31日(土)に開催いたします。
「新京成沿線健康ハイキング」は、沿線の皆さまとのコミュニケーションを図るとともに、沿線の見どころや地域の魅力を再発見していただくことを目的として、「船橋歩こう会」のご協力をいただき年4回開催しています。
第29回となる今回は、7月17日(土)成田スカイアクセスの開業を記念して、都心~成田空港を36分で結ぶ新型スカイライナーが西白井駅~新鎌ヶ谷駅間で見えるコースを設定しました。さらに、コース上には梨畑が多く見られ、「幸水」の実りの時期を迎えようとしている梨の里を巡る約12キロメートルのコースです。
第29回「新京成沿線健康ハイキング」の概要
期日 平成22年7月31日(土)
コース(約12km)
鎌ヶ谷大仏駅(スタート)→鎌ケ谷八幡宮(スタート受付)→東鎌ケ谷2丁目ふれあいの森→八木が谷北公園→JRA競馬学校→西白井駅前(北総鉄道)→鎌ケ谷市営陸上競技場→鎌ケ谷市市制記念公園→新鎌ヶ谷駅(ゴール・受付)
【日本市民スポーツ連盟(JVA)認定】
(http://www.shinkeisei.co.jp/topics/detail.html?news_id=120 より引用)
新京成電鉄については・・
http://www.shinkeisei.co.jp/
成田空港線(なりたくうこうせん)は、東京都葛飾区の京成高砂駅と千葉県成田市の成田空港駅を結ぶ鉄道路線である。成田国際空港へのアクセス路線ということをアピールするため、京成電鉄によって「成田スカイアクセス」という愛称が与えられ、各種掲示物などで「成田スカイアクセス線 (Narita SKY ACCESS Line)」という名称とオレンジ色の案内色を用いて旅客案内を行っている。その一方、本線は「京成本線 (Keisei Main Line)」という名称と青色の案内色を用いて区別化を図っている。
印旛日本医大駅まで通じている北総鉄道北総線をさらに東へ延伸して成田国際空港に直結させた路線で、東京都心からのアクセス時間の長い同空港へのアクセス改善を目的に建設され、2010年7月17日に開業した。
全線にわたって京成電鉄が線路保有会社より線路を借りて運行する第2種鉄道事業者である。総事業費は1,261億円。
(フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』より引用)
成田スカイアクセスについては・・
http://www.narita-airport.jp/jp/whats_new/100409_skyaccess.html
http://www.keisei.co.jp/keisei/kouhou/news/22-017.pdf
新型スカイライナーについては・・
http://www.new-skyliner.jp/
2010/07/31 04:07:35